2015年5月10日 福井新聞 書評


 

「人間のしわざ」 青来 有一 著

 

人間の愚かな所業である戦争や殺りくを正面から見据えて重厚だ。

作者は怜悧な目で私たちの意識の薄い膜を丁寧に一枚ずつ剥がしていく。

長崎という歴史と場所の層に埋もれた死者たちの相貌を透視する。

例えば、切支丹弾圧により火あぶりの刑で黒焦げになった殉教者、刑場に引かれていく女、発掘された被爆者の喉仏の骨。

 

表面上のストーリーは50歳代の男女の逢瀬の場で、男の体験したことが女性の視点で回想風につづられる。

30年前、二人はお互いに引かれていた。しかし心が擦れ違ったまま、卒業後の道は別々。

その後、途絶えた愛の記憶がよみがえり、再会を果たす。

 

男は戦場カメラマンとしてソマリア、コソボ、イラクなど世界の紛争地を駆け回り、テロ、無差別殺りく、

残虐行為で死んだ人々の遺骸を写真に収めた。腐敗、崩壊、死が男のテーマで、死臭が記憶の底に流れている。

精神を深く病んだ男の話を、女はただ黙って聞く。

 

女の姿は罪人の話を聞くマリア像のようにも思える。

また男は1981年のローマ法王、ヨハネ・バウロ二世の長崎でのミサや広島での平和アピール「戦争は人間のしわざ」

という言葉に鋭く感応する。戦争やテロ、殺人など人が人を否定し卑しめる愚行、「人間のしわざ」の本質には

何があるのか、男の内的な問いは沈降する。

 

虐殺と信仰、本書で語られる主題は重い。軽さを装うために描かれた一対の男女の情痴さえ逆に深さを刻む。

殉教の黒焦げの老人や刑場に引かれていく女たちが語り掛ける場面が印象的だ。

自分はなんでこんなむごいことにあうのか、神はどうして黙っているのか、と。これはドストエフスキーのテーマ

でもあり、19世紀以来いまだ解決されない哲学的な難問だ。この世の救いとは何かを考えさせられた。

 

著者はこれまでも長崎在住の作家として被爆や信仰を描き、人間根源に迫る「聖水」「爆心」などの作品を書いてきた。

今年は戦後70年。いまだに世界は残虐行為にあふれている。時代に屹立した秀作である。

 

(集英社 1620円)

 

 

文芸評論家 横尾和博

 

2015年5月10日 福井新聞より

 

 

 

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