2015年9月13日 北海道新聞 書評


 

「職業としての小説家」 村上春樹 著

 

文学は皮膚感覚だ。

優れた作品に出合うと鳥肌が立つ。それは知性や理性ではなくフィジカルな感覚であり、まさに本書がそうである。

 

デビューから36年。いまや世界的な名声を博する著者の本格的な文学論、小説論、作家論だ。

抽象的な話ではなく自分の体験と感受性、創作の秘密を奢らず率直に自然体で語った稀有な書である。

初めての自伝的な話はきわめて刺激的で、読後は自分の心が研ぎ澄まされ、新鮮な気持ちで身震いがした。

 

たとえばデビュー作「風の歌を聴け」を書いたころの借金を背負った生活。

既存文学に対してどのようなチャレンジを考えたかの話は興味深い。

また芥川賞について見解を述べ、賞と文学についての現状に苦言を呈する。

一方、優れた小説は温泉の湯のように「じんわり」と後まで残る肌感覚、とユーモアをまじえる。

そして「人々の心の壁に新しい窓を開け、そこに新鮮な空気を吹き込む」ことが、小説を書く根拠であり、

小説家は心の闇の底へ下降し、物語を紡がなければならないとの持論を展開。

いわば1冊まるごと村上春樹そのものなのだ。

 

村上文学の特徴は、ストーリーのわかりやすさ、逆に難解な寓話と象徴である。本書もわかりやすい。

書き言葉ではなく、目の前に聞き手がいるかのように意図的に話し言葉で語られている。しかし内容は深遠だ。

 

時代から隠棲し意識的にデタッチメント(関わりのなさ)を貫いてきた村上だが、多くの愛読者に支持されているのは、

時代の暗闇に届く光の言葉とオリジナルの物語を獲得しているから。

世界文学へと押し上げている理由でもあり、ノーベル文学賞の呼び声が高くなるのも当然であろう。

 

同世代のひとりとして、私はデビュー以来彼の作品をリアルタイムで読んできた。

過去の作品群はいまも輝きを失っていない。

本書は質のよい文学論であると同時に、心を開き自由に生きることの意味を、若い世代に問いかけるフィクション

のようでもある。

 

(スイッチ・パブリッシング 1944円)

 

 

文芸評論家 横尾和博

 

2015年9月13日 北海道新聞より

 

 

 

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