2015年11月21日 福島民報(時事通信配信)書評


 

「わかれ」 瀬戸内寂聴 著

 

艶のある作家だ。言葉に生気があふれている。年齢に関係なく著者の個性である。

艶とは情愛の文言ではない。作品の息づかいのことだ。

 

かつて著者は小説の中で「書いてない余白に、もっと大切なことがいっぱい埋められている」と記した。

故に本書も尽きることがない生への思いが凝縮されている。

 

本書には九の短編が、フィクションと心境小説や私小説風のいでたちで彩りを変えながら収められている。

 

「山姥(やまんば)」は都会で鬱屈(うっくつ)を抱えていた男の話。

大学時代の友人夫婦が開いた地方の新聞配達店で働き、配達途中の山の中に住む老女が気になり、

惹(ひ)きつけられていく話で心理描写が巧みだ。

 

また武田泰淳にまつわる話も興味深い。

武田の作品に触れながら中国の紹興を旅して、辛亥革命の女性革命闘士で処刑された秋瑾に思いを募らせる。

大逆事件の管野スガを描いた著者ならではの筆の冴(さ)えを見せ、いちずな女性の思いを書く。

 

本書にある「長く生き過ぎるということは、それだけ憂き世の埃(ほこり)を厚くかぶること」

「生きるということは罪の蓄積であり、自分ひとりが幸福になる時は必ず誰かがその分量だけの不幸を引き受けて

くれている」との感慨は、逆に考えればそれが人の世のはかなさを描くエナジーに転化しているのだ。

 

過去、著者は男性遍歴や子どもも捨てての出奔など私生活上の荒れを経験。それを文学として生きてきた。

奔放さは無頼の別名であり、広野をさまよう精神こそ作家の特権だ。

出家以後、法話や人生論が人気だが、文学に集中することを願うのは筆者だけか。

私たちは日々の生活の中でささいな出来事に愁いを抱く。

だからこそ修羅の道を歩んできた著者には、徹底して道を究めてほしいと思うのだ。

それは決して苦行ではなく愉楽でもあるはずだから。

 

(新潮社 1512円)

 

文芸評論家 横尾和博

 

2015年11月21日 福島民報より

 

 

 

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