2015年12月10日 デーリー東北(時事通信配信)書評


 

 2015文芸回顧 閉塞感の霧に抗して

 

世界を深い霧が覆っている。いつ発生したのか、謎の霧だ。霧の中では過去の出来事が思い出せない。

老夫婦は「記憶」を取り戻すために荒野に旅に出る。

今年邦訳が出たカズオ・イシグロ「忘れられた巨人」のモチーフである。

同書の舞台は中世イングランド、しかし現代日本も深い霧の中である。

閉塞感の根拠は反知性主義に象徴される社会状況だが、文学界においても批評の衰退など水脈の枯渇が懸念される。

 

今年の文学界の特徴は二つ。

まずは戦後七十年の節目の年に安保法制の強行が重なったことでの「戦争物」。

長崎で一貫して被爆の題材を扱い続ける青来有一「悲しみと無のあいだ」は、被爆体験のない世代が戦争や原爆を書く

ことの意味を鋭く問い、同じ著者の「人間のしわざ」と併せ、今年一番の収穫。

「想像は経験に代わりうるのか」という言葉は、震災体験も含めてすべての文学に問われる課題だ。

 

二つ目は先行き不透明な時代を象徴し、近未来のディストピア小説が顕在化したことである。

田中慎弥「宰相A」は社会がアングロサクソン系の支配する新しい日本になっており、主人公が旧日本人として

軍に拘束される話で、進む管理社会と支配と被支配の構造を浮き立たせた。

 

老人たちが希望のない社会を破壊しようとする村上龍「オールド・テロリスト」や、

管理社会の恐怖を描いた赤川次郎「東京零年」。また村田早耶香「消滅世界」(「文芸」秋号)は前作の「殺人出産」

同様、著者のテーマである出産をめぐる話で恋愛、結婚、出産、家族のない近未来を描く問題作。

一方、窪美澄「アカガミ」(「文芸」冬号)は若者たちが性への欲求を失い、他者に無関心で家族は崩壊し、

国家が家族をつくることを奨励する社会を描く。

 

又吉直樹「火花」が7月の芥川賞を受賞した。

お笑い芸人としての知名度から200万部のベストセラーとなったことも忘れられない出来事。

文学と商品の意味をあらためて考えさせられた。

落選したが、世界で同じ日に起きた出来事を三つ並べることにより、共時性への想像力を描いてみせた

内村薫風「MとΣ」。

他者との距離にとまどう一貫したテーマを描いた島本理生「夏の裁断」の2作は捨て難かった。

不条理、グロテスクで反骨精神をみせた吉村萬壱「虚ろまんてぃっく」、

大震災後を直接描かずに、都市に住む若い男女の物語として表現した金原ひとみ「持たざる者」、

原作を踏襲しつつも、現代日本の新たな物語として父性、カルトなどを重層的に描いた亀山郁夫「新カラマーゾフの兄弟」、

3・11にこだわり続ける赤坂真理「大津波のあと」(「新潮」10月号)など、

それぞれ個性を発揮し濃霧の中で光明となった。

また初の自伝的エッセーとなる村上春樹「職業としての小説家」は文学論としての彩りを見せた。

 

来年は爽やかな風を起こし、霧を吹き飛ばすような衝撃的な作品を期待したい。

今年は河野多恵子、車谷長吉、阿川弘之らが鬼籍に入った。

哀悼の念に堪えない。

 

 

文芸評論家 横尾和博

 

2015年12月10日 デーリー東北より

 

 

 

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