「例外小説論」 佐々木 敦 著
魅力的な題名で、文学愛好者には涎が出るような1冊だ。
本書は現代文学の中で難解、かつ一風変わった小説を取り上げ批評の俎上(そじょう)に載せた本である。
そういえば21世紀に入って以降、小説と銘打ちながら難しい作品が登場している。
独特の論理を展開する理数系の作家円城塔、時間と空間を超えた幻視の物語を描く古川日出男など、
従来の文学観では語ることのできない作品群だ。なるほど、これらを「例外」と呼ぶのか。
そこでまず「例外小説」とは何か、と素朴な疑問が湧きおこる。
著者は冒頭で丁寧に説明する。
「これは『小説』なのか?」という疑い/問いは、「これも小説なのだ」という物わかりの良さと
「こんなの『小説』じゃない」という完膚なき否定の両極のあいだを揺れ動いている。
芥川賞受賞作の滝口悠生『死んでいいない者』も、数多くの登場人物と視点の変化に読者が躓(つまづ)く仕掛けが
ほどこされ、「わかりにくい小説」だった。
滝口を以前から推していたのが著者。
つまり「正当路線」と異なる小説が例外小説なのである。
その代表格として著者が熱を込めて語るのが筒井康隆。
SF作家、エンターテインメント、純文学という既存領域を軽々と超えて、最近は『モナドの領域』を出版。
著者はこう賛辞をおくる。
筒井康隆の例外性は、もちろんジャンルに対してのものだけではない。
その外枠には「小説」そのものへの「例外」を志向するベクトルが歴然と存在する、と。
つまり小説存在そのものへ根源的な疑義を有しているのである。
本書は32名の作家を取り上げ、末尾には著者の文学論の核心でもある「はじめての小説論」が収められている。
文学がもっとも唾棄すべき既成や権威、安定や秩序から遠く離れた斬新な小説群に光をあてることにより、
新たな可能性を切り開く。
「文学」自体が社会通念からはみ出した余計者であり逸脱、妄想の物語だ。
そのドロップアウトした「文学」からさらに「例外」としてはみ出し、揺れ動く作品が放つ光彩は眩い。
文芸評論家 横尾和博
2016年3月20日 西日本新聞より