2016年5月21日 福島民報 書評


 

 「ジャッカ・ドフニ 海の記憶の物語」 津島 佑子 著

 

二月に亡くなった著者の遺作である。

「ジャッカ・ドフニ」は「大切なものを収める家」の意味のウィルタ語で、ウィルタとは北方に住む少数民族だ。

戦前、日本統治下の南樺太で「日本国民」として戦争にも駆り出され、強制移住させられるなどした。

戦後は北海道に住んだ人たちもいる。

 

物語は二重の構造を持つ。

冒頭は著者自身と思われる「わたし」が、幼い頃亡くした息子と共に北海道を旅した話だ。

そこで出会ったウィルタの姿や土地に刻まれた歴史を交えつつ、同地を巡る「わたし」の記憶が断続的にたどり直される。

 

やがて物語は一転、本来の舞台である江戸初期にさかのぼり、蝦夷地マツマエで日本人の父とアイヌの母との間に

生まれた女の子の果てない流浪が描かれる。

三歳で母親までも失った少女チカップ(チカ)は海を渡り、ツガルへ。

この地で都から流刑に処されたキリシタンたちに出会い、五歳年上でジュリアンという洗礼名の少年を知る。

 

支配者が変わり、キリシタンに寛容な時代は弾圧の世へと移る。

チカは兄と慕う少年と船に乗り、ナガサキへ。さらに他の信者と共にマカオを目指す。

ジュリアンの使命は学問を修めパードレ(神父)として日本に戻り、受難のキリシタンと共に殉教の道を歩むこと。

 

壮大なスケールと緻密な二重構造を持つこの物語のテーマは、人種混在にみられる多様性と抑圧された民衆の歴史や記憶。

現代日本はこの二つのキーワードを忘れ、真逆の方向に向かっているようにも見える。

 

片や本書では、「世界はいつもむごくて、理不尽で、悲しみに充ちて」いても、どこからか柔らかな光が差すイメージに

貫かれている。

作者の内部から発せられる人間の尊厳という輝きだ。

光とは著者の長年のモチーフであり、創作活動の末の「大切なもの」の比喩でもある。

 

読後、自分にとって「大切なもの」は何か、考えさせられた。作者の思いが凝縮されていて、文字通りの遺作である。

 

(集英社・2700円)

 

文芸評論家 横尾和博

 

2016年5月21日 福島民報より

 

 

 

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