2017年1月22日 河北新報 書評


 

 「しんせかい」 山下 澄人 著

 

自伝的要素の濃い作品だ。しかし伝統的な私小説ではない。

素材は筆者が入塾した倉本聴主宰の演劇塾「富良野塾」での体験が基となっている。

 

私小説であれば、体験を自我の覚醒や他者との関係の中での自虐や鬱屈として描くのが常道。

だが本書は主人公の2年間の体験が夢や、どこか人ごとのように描かれる。

つまりリアルな話として伝わってこない。著者が意図的に持ち込んだ新しい手法だ。

 

著者はこれまでも時間(時代)や空間(場所)を自在に往還する作品を書き、芥川賞候補にもなった。

本書は一見、自らの稀有な体験をつづったように装いながら、現実と非現実の曖昧模糊を書くことで、

起こったことの意味、生の感触や手ごたえを読者に問題提起する。

題名はその比喩でもある。

 

19歳の「ぼく」は遠く離れた北の土地で有名な脚本家の【先生】が主宰する演劇塾に入塾する。

それは地域から閉じられた【谷】にあり、塾生が共同生活を送りつつ、農作業や施設の建設にあたり、

運営費は【先生】が拠出している。

 

「ぼく」は高倉健やブルース・リーのようになりたいと漠然と思っていただけで、俳優志望かどうかもよく分からない。

たまたま新聞で募集広告を見て応募し、合格した。

 

日々のきつい肉体労働を「ぼく」は淡々とこなし、授業を受け続ける。

ある日、昔付き合っていた女性からの手紙で結婚することを告げられ、「ぼく」は人や社会の不安定な変化を感受する。

 

私たちは大きな厄災に遭遇したとき、当初は現実にのまれながらも、やがて時間の経過のなかで出来事の意味を抽象化

して考える。

体験は風化し、夢のような曖昧なものに変容するが、忘れてはいけない「何か」が残る。

劇団を主宰していた著者が、なぜ3・11東日本大震災以降に小説執筆に挑んだのか。

その回答が本書であり、第156回芥川賞の受賞作にも選ばれた。

出来事への遠さと人間存在の不確かさの、もどかしいまでの切実さが伝わってくる作品だ。

 

(新潮社・1728円)

 

文芸評論家 横尾和博

 

2017年1月22日 河北新報 より

 

 

 

inserted by FC2 system