2017年3月26日 北海道新聞 書評


 

 「騎士団長殺し 第1部・2部」 村上 春樹 著

 

本作は魂の遍歴譚(へんれきたん)である。

「自分探し」「地下の世界」という長年のモチーフが一貫している。謎が謎をよぶミステリだ。

ドストエフスキー作品のような哲学的対話も妙味である。

 

第1部に「顕(あらわ)れるイデア編」、第2部に「遷(うつ)ろうメタファー編」と副題が付いている。

キーワードはこのイデア(観念)とメタファー(暗喩)だ。過去の作品の既視感がよぎるが、大きく異なる点がある。

熱心な村上ファンなら結末の意外さに気づくはず。

阪神大震災後に書かれた連作短篇集の中の「蜂蜜パイ」、また『1Q84』のラストを深めたものだ。

ここではあえて紹介しないが、本書では「恩寵(おんちょう)のひとつのかたち」とよばれる出来事で、

それが3・11後の作者の変化と読んだ。

 

主人公は三十六歳の画家の「私」。ある日妻から離婚を言い渡されるが、理由に覚えがない。

傷心の「私」は旅に出て、東北の港町で不思議な体験をする。

見知らぬ女と一夜を過ごすが、その後「自分の行為や思念を咎(とが)められる」イメージが消えない。

また、別れた妻との生々しい性夢を見る。

友人から小田原の家を借りることになった「私」は、裕福な謎の男、賢い少女など近隣との関係が生まれ、

不可解な事が次々と起こる。

友人の父は高名な日本画家で、屋根裏に隠された一枚の絵を発見し、「騎士団長殺し」と題されたその絵の意味を考える

ことから世界は動きだす。「私」はどこへいくのか。

 

作者はデビュー当初から社会的な事象に関わらない姿勢を貫いたことで批判されてきた。

だが、実は「関わらない」ことで世界と「関わって」きたのだ。

政治的、社会的言語を直截(ちょくせつ)的に発せず、自分の深層を掘り続けることで繋(つな)がりを模索し続ける。

その繋がりの一端は、本書で語られるナチによるオーストリア併合、同時期の南京虐殺事件、そして原爆をめぐる問答と

して現れている。

表題や副題にこめられた寓意(ぐうい)に思いを巡らせるのも一興だ。読者も自らの地層の掘り下げが問われる。

 

(新潮社・1728円)

 

文芸評論家 横尾和博

 

2017年3月26日 北海道新聞 より

 

 

 

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