2017年12月 徳島新聞(時事通信社配信) 書評


 

 「千の扉」 柴崎 友香 著 (中央公論新社) 

 

 人と土地の記憶を、時代を超えて往還させたしなやかな小説である。また主人公を中心としながら周囲の人々の視点で、その行動や記憶をオムニバスのように挿入するのも特徴。いくつかの場所で起こる事件を交互に表現する映画の手法のようでもある。この多視点と時間往還は著者が5年前に刊行した「わたしがいなかった街で」で試み、高い評価を得た手法だっ永尾千歳は39歳。Ю年以上前に大阪から上京し、1力月前に年下の一俊と結婚して都営団地に住んでいる。その部屋に居住するのは一俊の祖父勝男だが、入院療養のため、夫婦は留守番を兼ねている。団地は東京の山手線の内側にあり、3千世帯7千人が住む巨大なもの。小高い山もあり、樹木がうっそうと茂る団地内は少子高齢化の影響で静か。戦前陸軍の大規模な施設があった場所で都市伝説や幽霊諄もささやかれる。千歳は勝男に頼まれて知人探しをしている。団地内に住んでいるはずだが調べは進まない。周りの風景が気に入っている千歳は、特に欅や桜などの高い樹木に引かれる。人の心のすれ違いもあるが、ささやかな日常は淡々と過ぎていく。千歳は人がよく分からない。想像しても、自分以外の人の気持ちは分からないし、生きることも死もよく分かっていない、と生の根拠を語る。 作中、年を取って時間の経過が早く感じられるのは、10歳の1年は人生の10分の1だが、40歳の1年は40分の1だから、との言葉に出合う。過去にさかのぼる一瞬、とはこのような感受だ。戦後の焼け野原で祖父が見た光景と今、孫嫁が見ている情景は、同じ土地ながらどのように変化したのか。 「わからないこと」を受容し、観察する千歳に深い共感を覚える。 著者は千歳に仮託し耳を澄ませ、場所と人の記憶や声を聞き続ける。そこに在るのは三千の扉の向こうの三千の物語である。本書の本当の主人公は、人の営みを見続け、聞き続けてきた巨大団地の中の樹木たちかもしれない。

 

(中央公論社 1,600円 税別)

 

文芸評論家 横尾和博

 

2017年12月 徳島新聞 より

 

 

 

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