2017年12月3日 西日本新聞 書評 


 

 「逆さに吊るされた男」 田口ランディ著

 

 オウム真理教が1995年 3月に実行した地下鉄サリン 事件。いまなお後遺症に苦しむ被害者がいるなかで、事件当事者たちは裁判で確定判決が下されている。本書はメディアにより「殺人マシーン」とあだ名された確定死刑囚Y との交流をとおして、人の心の闇に迫るノンフィクション仕立ての小説(フィクション) である。
 語り手は「私」で、羽鳥よう子という作家。これまでも広島や原発事故後の福島を扱った作品に登場し、著者を等身大にした人物だ。「私」は映画監督の紹介で、東京拘置所に収監されているYに面会する。Yはメディアが報じたような極悪非道な人物には見えない。むしろ控えめでおとなしい、誠実な人である。「私」は引きもこもりの末に自殺した兄に似ているように思えた。Yとの交流は長年続き、文通や面会を重ねるなかで、「私」の内部で「なぜ、どうして」との疑問が膨らんでくる。なぜYは疑間を持ちながら教団から逃げなか ったのか、どうしてヨガサークルだったオウムが殺人を肯定する教義をもつようになったのか。疑問に解答はない。
 そして「私」の問いはYをとおし自分に跳ね返ってくる。信とは何か、宗教とは、生きるとは…。
 人類救済の理念や解脱願望など、すべての意識は人が作りあげた観念の妄想だ。個人のなかで観念は肥大化し、やがて他者へと向かい、その共同理念が集団を形成する。過激化した共同理念はオウムだけではなく、連合赤軍事件など多くの悲劇を生む原因ともなる。人類救済の崇高な理念が組織の論理で、個人を疎外し、目的のために手段は正当 化されるのだ。論理は逆立ちし、本書題名の比除にも繋がる。 本書は集団論理や心理の解明ではなく、文学としてY個人の心の奥底と向き合う「私」の魂の遍歴諏だ。私たちは犯罪者を安易に指弾する。だが想像力や共感力がない限り内面に眼差しは届かない。著者が悩みながら体当たりで他者に向かう真塾な姿勢に脱帽だ。

 

文芸評論家 横尾和博

 

2018年1月 西日本新聞 より

 

 

 

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