2018年3月 西日本新聞掲載 4月 北海道新聞掲載  


 

 

 「その後の震災後文学論」 木村朗子 著

 

 筆者は2013年に「震災後文学論」を出している。3・11以後、津波や原発を題材として発表された文学や映像を中心に、新しい文学の可能性を論じ、川上弘美「神様2011」、いとうせいこう「想像ラジオ」など際立った作品が取り上げられていた。
 その続篇であるである本書では、「震災後文学」の定義を改めて提示し、「震災後文学というのは、震災後に震災を扱って書かれたものだけをさすのではなくて、震災後の文学状況全体をさす」と明確に謳う。直截的な題材としての震災事象から、人の心の変化、深化や広がりを見るのである。3・11以後、過去の戦争を描いた作品が若い表現者により出現したのは、彼らが歴史再考の必要性を感じたものだと指摘し、戦場の慈悲さをリアルに描いた高橋弘希「指の骨」をあげる。
 逆に、読み手側の変化も指摘している。読者も過去に書かれた戦争やカタストロフ作品を読むときには、震災記憶が意識、無意識を問わず刻印されるはずだと述べる。たとえば、多和田葉子「雲をつかむ話」は震災前から続く連載小説だが、震災前に書かれた部分も「震災という出来事を読み込めてしまう」のだ。斬新な論で作品を読む自由、テクスト論の新たな展開を見た。
 また、ジャック・デリタの概念を援用した「震災後文学の憑在論」も新鮮だ。憑在論(ホントロジー)とは、生者とともにいまもなお在る死者たち、と評者は意訳した。筆者が紹介するのは彩瀬まる「やがて海へと届く」。津波で行方不明になった親友の死を受容できない女性と、死者の声となって物語を綴る女友達の話だ。つまり死者は過去の存在ではなく、「ずっと私たちの現在にはりついて」いるのである。
 そのほかにも性的マイノリティと震災をモチーフにした沼田真佑「影裏」、復興の同調圧力に異議をとなえる吉村萬壱「ボラード病」など、多くの作品を論じている。3・11の記憶は薄れるが、忘却に抗し後世に残る一冊だ。    

 

文芸評論家 横尾和博

 

2018年3月 西日本新聞掲載 4月 北海道新聞掲載 より

 

 

 

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