2018年12月23日 河北新報掲載    




 

 「流砂」 黒井千次 著

 

 筆者は昔「内向の世代」と呼ばれた作家の一人。10歳前後に戦争を体験、1970年ごろに文壇に登場した世代である。「自我と個人的な状況の中にだけ自己の作品の手応えを求めようとしており、脱イデオロギーの文学世代」と言われた。
 そんな彼らが今日、戦時中の出来事を振り返り、戦争にまつわる記憶を描く意義は大きい。自我の中にこもると批判された筆者たちの世代が、古井由吉の空襲の追想、後藤明生の引き揚げや外地での記憶なども含めて今、結果的に歴史忘却の風潮に抗し、イデオロギーではなく戦争の不毛を提起しているからだ。
 本書も、70代の息子が90代の父親の戦前の秘密や謎を解こうとするストーリーが基本。探し発見する、というミステリー的な筋立てで、過去にこだわる筆者のモチベーションの高さを示す。
息子は定年退職後、隣家の両親と暮らしている。穏やかな日々にも近所のなじみの古い家が解体され、確実に時代は変化していく。ある日、息子は父に、戦前役人出会った時に書いた古い報告書の在りかを尋ねる。長い間、心の奥に引っ掛かっていた疑問を息子が口に出したのである。
 拒むと思えた父親は、息子と素直に家の中を探すが見つからない。しかし、父が病で入院している間に書籍から息子はその分厚い報告書を発見する。題名は「思想犯の保護を巡って」で当時の政治犯に関する研究論文だった。
父親は戦前、思想検事として仕事をしていたのだ。思想検事とは政治犯など主に左翼思想の持ち主を取り締まる立場で、警察機構の特高と両輪をなしていた。一方で、息子の若い頃の同人誌仲間が他界。彼が書きためた文章が送られてきたことで、息子は二つの過去の人生に向き合い、生の重みを考える。
 父と息子の相克はギリシャ神話の「オイディプス」以来、文学の正当なテーマである。静謐な文体の中で父と子を縦軸、老いと記憶や時代の流れを横軸に据えた出色の一冊だ。    

 

文芸評論家 横尾和博

 

2018年12月23日 河北新報掲載 より

 

 

 

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