2019年10月 京都新聞 掲載    




 

 「待ち針」 佐藤 洋二郎 著

 

 「あらゆるものの根底には哀しみがある」。

 本書は、生きることの哀切を泥臭く描いてきた筆者の、単行本未収録作も含む計10編を収めた中短編集である。その味わいは、ある登場人物が語るこの言葉に凝縮されている。
 筆者は1992年に、外国人労働者が登場する「河口へ」で注目を浴び、以降旺盛に小説を発表。95年には「夏至祭」で野間文芸新人賞を受賞した。両作とも肉体労働に従事する男たちの屈託、鬱屈をわい雑に描いた。その濃厚な土着と出稼ぎ、暴力と生の体臭が、筆者独特の泥臭さを生み出すだ。
 本書表題作の「待ち針」は、北九州の炭鉱が閉山となり、上京し建設作業員として働く飯場暮らしの男が主人公。実家には母と妻とその連れ子が残るが、男は何年も帰省しない。妻は愛人ができたので離婚したいと言い出し、男は作業中に労災事故に遭う。

 この作品に象徴されるように、筆者は一貫して炭鉱や工場、建設作業、農業などに従事する人間を描いてきた。本書には、口下手な若者が飛び込み営業の仕事に就く「他人の夏」のような作品もあるが、額に汗する現場労働が筆者の真骨頂。
 地味な労働現場を描く小説は今日少ないが、肉体労働を描くとこは見えにくい形で差別や格差、貧困がまん延する現代を撃つ力がある。サービス業など第三次産業が経済活動の大半を占め、就労者も7割以上を超える豊かな社会になる中で、文学が忘れていた視点がそこにあるからだ。
筆者の作品には風土や作業のにおい、皮膚の感触が色濃く宿る。特に、初期作品に見られる。北九州の閉山した炭鉱の仕事にあぶれた男たちのばくちや飲酒などの自暴自棄な暮らしや、女たちの投げらりだがしたたかな生き方は、日の当たることのない”底辺”の人々の感情を活写、強く胸を打ち、感嘆を誘う。
 本書は全2巻で出版される選集の第1集。外国人労働者が増える中、平成30年間の文学史を振り返る意味でも、刊行の意義は深い。
     

 

文芸評論家 横尾和博

 

2019年10月 京都新聞 掲載 より

 

 

 

inserted by FC2 system