2020年1月 デーリー東北 掲載    




 

 2019 文芸回顧

 

 デーリー東北 「2019文芸回顧」

 令和が幕を開けた。改元が新しい文学に直結するわけではない。文学精神は時の流れの深い層に眠るからだ。だが、平成の30年を振り返ると、大震災やテロ、戦争、低迷する経済と格差、女性作家の活躍など、幾つかの特徴が文学に見られた。その観点で、早くも新しい「令和文学」を予感させる動きがあった。
 キーワードは「私が消える」「私がない」である。明治以降の近代文学は自我の確率が課題であり、「私」とは誰か、他者とのつながり、社会との関係を問うことから始まった。
 「私」の存在そのものを疑う作品として登場したのが川上弘美「某(ぼう)」だ。人間に取り付き、次々に変化を繰り返す生物の話で、「誰でもない私」を示して哲学的なテーマをはらむ。人工授精でパートナーなしの妊娠出産を目指す女性を描いた川上未映子「夏物語」は、今の時代の恋愛の在り方と生殖医療を考えさせ、果てしなく思考は及ぶ。

 芥川賞受賞作の今村夏子「むらさきのスカート」は語り手の「わたし」の存在を疑わせるような構造だ。「私の溶解」は今年の潮流だが、今後合理性と効率が支配するAI(人工知能)の世では、自我がますます問われてくるだろう。役立たずの人間は疎まれ、文学は意義を失うかもしれない。
 一方、幼児虐待への注目は今年も続いたが、山田詠美「つみびと」は、この素材を人間の本質である「悪」として根源に迫った。文学の想像力が現実を上回るか、現実が文学を超えるか、京都アニメーション放火事件からも考えさせられた年だった。  
 同様に安部和重「オーガ(ニ)ズム」はミステリー調のハードボイルドで、安易な偽ニュースが飛び交う今の世界を、現実と虚構を交錯させる手法を駆使し撃った。過疎も現実的な課題であるが、村田喜代子「飛族」は西の国境近くの離島に二人だけで住む老女たちの物語で、地べたをはうような生のたくましさを書き、文学の王道を示した。
 社会の常識を覆し、今の世の価値観に一石を投じたのが村田沙耶香の自選短編集「生命式」だ。倫理や道徳を疑う筆者の長年のテーマである。新人では三國美千子「いかれころ」が大阪河内地方の不隠を忍ばせた家族の物語で読ませた。デビュー作がいきなり三島賞に輝き、受賞作第1作「青いポポの果実」(「新潮」12月号)も異彩を放ち、今後に注目だ。
 日本文学の伝統には「隠者の文学」があるが、古井由吉「この道」、佐伯一麦(かずみ)「海山記(せんがいき)」は、移ろう時の中で変わらない日常を描き、その違和や裂け目 に視線を向けた。時代の進化は文学の形式をも変える。だが、人の感情や感受性は古来より変わらないはずだ。文学の希望は人の心の在り方そのものに依拠することにあり。
 今年は文芸評論家で活躍した加藤典洋、日本文学研究者のドナルド・キートン、ドイツ文学者の池内紀、作家では橋本治、田辺聖子、室井光広、安部譲二、眉村卓らが鬼籍に入った。哀惜の年に堪えない。
     

 

文芸評論家 横尾和博

 

2020年1月 デーリー東北 掲載 より

 

 

 

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