陸奥新報 書評


 

「MとΣ」 内村薫風 著

 

瞬間移動の小説である。

手品やゲームを見ているような不思議な感触だ。ストーリーを重視する読者は戸惑いを感じるかもしれない。

だが、慣れてくるとその場面転換が心地良さに変わり、違和感が無くなる。

 

話の軸は1990年2月11日に起きた三つの出来事だ。

南アフリカでは、27年間幽閉されていた反アパルトヘイトの闘士であり、後の大統領ネルソン・マンデラが刑務所から

解放された日。

そして東京では伝説のボクサー、マイク・タイソンが圧倒的に有利とされた試合で初黒星を喫して王座を失った日。

秋葉原で人気のゲームソフト「ドラゴンクエストW」が発売された日でもある。

 

地理的な空間を超えた三つの出来事は、さらに時間も軽やかに超え、現在の東京・日本橋馬喰町のブラック企業で働く

30代後半の男性の視点にシフトする。

内村という男の元へ、ある日過労自殺した先輩の彼女が訪ねてくるのだ。出来事相互の関係性は何もない。

内村が小学生のときに秋葉原に出掛けて購入した「ドラクエ」だけが個人的な思い出として刻印されているのみ。

語り手は常に現在形で、それぞれの現場に潜り込む時空を超えた小説だ。

 

表題作は今年7月の第153回芥川賞候補作。だがどういうわけか9人の選考委員の評価は厳しい。

「とってつけたよう」「興味深い試みだが、言葉じたいに、どちらのギアを使うべきかの迷いが見られる」など。

しかし作家は常に新しいことに挑戦し、読者を驚かせ、考えさせ、満足させる作品を生みだすべき存在。

旧態依然を壊す試みもあってよい。それが芥川賞本来の面目である。

 

作者は覆面作家とのこと。

場面の切り替えが巧みで、語りの鮮やかさはかなりの実力のある作家の証拠。

映像に関わっている人物ではないか、と筆者は推測する。

 

さてあなたは1990年2月11日、何をしていたのだろうか。

読後、日常生活のなかでいま同時に進行している「世界の何か」に思いをはせた。

 

難解さと小気味よさがほどよく、脱帽。

 

(新潮社 1620円)

 

 

文芸評論家 横尾和博

 

陸奥新報より引用

 

 

 

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