文藝同人誌の最前線 〜ブンガクの未来〜

文学に未来はあるか。
いま私が考えている大きな問いだ。未来とは何年くらい先をイメージするのか。
また文学の概念とは現在の「純文学」のことを指すのか。
そのような問いを自ら発しながらも疑問や答えに窮することは多々あるが、
今回から「文芸同人誌の最前線」と謳って、同人誌のなかで目についた作品をネット上でとりあげようと思う。


■ 第13回 2019年9月

 同人雑誌はいくつかの特徴がある。
 数は少ないが、若い人たちを中心にプロ作家を目指す修練の場としての雑誌がある。
 その一方、文学が好きで、読書や書くことが自分の生き甲斐のように感じている人たちの雑誌もある。
 また作品の内容や質は問わずに趣味の同好会、サークルのような機能を持った雑誌もある。
 特に超高齢化社会を迎えたいま、趣味の仲間を求めて同人誌を作る傾向が多い。
 逆に若い世代は文学フリマに多く参加している。自己表現の場として雑誌を作るのだ。
 私は同人誌の優劣、作品評価に関わらず、読書や書く行為が広がることを期待している。
 もちろん参加する書き手の心の紋様はそれぞれだ。
 同人誌の役割はさまざまだが、反知性主義が席捲するなかで知性を磨く場として期待したい。書くだけではなく、読書会も有効だと思う。

 角田眞由美「蛍の村」(「詩と眞實」839号)は東京で事業に失敗した夫婦が、妻の知人の田舎へ逃亡をはかり、空き家に住む。過疎の村の人々との人間関係が難しく、親切だがいつも見張られているようだ。 ストーリー展開は申し分ないが、村の情景と語り手である妻の「私」の心理をさらに描写したほうがよい。「闇に溶けて、私達も闇になる。私という肉体の形がなくなればいい」との表現は秀逸で目を惹く。
 葉山ほずみ「夜を漕ぐ」(「八月の群れ」68号)は、二十六歳の双子の姉が弟の難病に向き合う話だ。長い手術の後での焼肉屋での老店主との対話、執刀医との会話など哲学的な魅力があり、良質な文学の香りがある。
 谷山結子「僕のありふれた日常」(「せる」111号)、人と接し、社会に出ることが苦手な35歳の男性が職探しのハローワークで若い女性に会い、少しずつ変わっていく話で、内面がよく描かれている。障害をもつふたりの若い女性も活写されている。最初の部分が長いのと、題名ももうひと工夫だが秀作。
 夏当紀子「花火は見えたか」(「飢餓祭」45号)は八十三歳になる高齢女性が、孫に案内され故郷に墓参りする。八十歳の弟と待ち合わせて一緒に墓参りをするのだが…。高齢女性が主人公の作品は多いが、小説としての香りと物語性を含んでいる。
 篠原和子「砂嵐」(「文藝軌道」30号)は私塾を経営する四十代女性の話。バイトの大学生が急に精神病院に入院してしまった謎に迫る。題名の比喩とは何か。ネット社会とホラーがモチーフで、純文学の見本のような出来栄え。同人誌の書き手は見習うべき作品だ。
 「札幌文学」89号では、四十代女性の不幸とその慟哭を描く海邦智子「孤灯の下」が比喩や形容が巧みで読ませる。同様地主艨u暗雨」も失明した薄幸の女性を描く。海邦とともに形容や比喩がうまい。
 中部ペンクラブは名古屋を中心に多くの同人誌や書き手が集まり結成されている。講演会や独自の賞を設け、『中部ペン』という雑誌も発行している。中部は九州、関西に並んで同人誌活動が盛んな地域である。26号では中部ペンクラブ文学書を受賞した大西真紀「ジャングルまんだら」は女性4人がインド洋の島国に旅行に行き、ジャングルの中で迷い9日間を過ごす話。迷い、いきさつがあり、そして最後に助かるという冒険譚は物語の基本。巧さという点では抜きん出ている。

 【お知らせ】
 本欄は私が寄稿している全作家協会の「全作家」の「文芸時評」とは別である。同誌のコンセンプトはなるべく広く、をキーワードにしている。また本欄では特筆すべき何かを内包する作品を中心に少数精鋭で取り上げる。同人雑誌をお送りいただける方には、私どもの事務所に「お問い合わせフォーム」でコンタクトをとってほしい。掲載はご希望にそえないこともあるのでご了承いただきたい。


                                                           (了)

 

テンプレートのpondt

inserted by FC2 system