文藝同人誌の最前線 〜ブンガクの未来〜

文学に未来はあるか。
いま私が考えている大きな問いだ。未来とは何年くらい先をイメージするのか。
また文学の概念とは現在の「純文学」のことを指すのか。
そのような問いを自ら発しながらも疑問や答えに窮することは多々あるが、
今回から「文芸同人誌の最前線」と謳って、同人誌のなかで目についた作品をネット上でとりあげようと思う。


■ 第18回 2020年2月

 同人作品のなかで書く材料、素材についてひと言述べる。
 よくみかけるのは自分史のような素材である。つまり自分を等身大にした作品だ。
 介護、病気、懐かしい同窓会、男性だったら仕事もの、女性だったら家庭もの、あとは過去の恋愛ものなどが多い。
 生老病死は文学にとって主要なテーマ(主題)であり、人間の根本に関わるものだ。ゆえに深い人間観や人生観が作品に表現されてなければならない。ありきたりの感想や一般論では文学とはならない。そこが課題である。
 また等身大の自分を描くとき、ナルシズムに陥る傾向がある。自分の生を肯定的にとらえているからである。自分史は肯定的に書いてよい。だがそれでは文学にならないのだ。人間の卑小、エゴ、悪などを描かないと本質には迫れない。
 上記のような身の回りの材料を書く場合には、キラリと光る洞察力が必要である。
 また、あまり知られていない仕事や出来事も素材となりうる。同人誌の書き手には珍しい職業に就いている人、知人にそのような人がいることもあろう。まったくの想像でもよい。
 1月の芥川賞では古川真人「背高泡立草」は素材の選択という意味でも、方言使用という点でも、典型を示している。ぜひ一読してほしい。
 また、昨年話題になった無名のまま亡くなったアメリカの女性作家、ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』も同様である。
 最近読んだなかで、光る作品を挙げる。

 掛川千恵子「骨を洗う」(「風」102号)は、90歳になる男が、認知症になり死が近い妻との過去を回想する。遠く離れた生家の菩提寺から近くに構えた墓に骨を移した。その思い出が印象的で、夕暮れの海で近親者の骨を洗う場面が珠玉だ。
 吉田真枝「梅酒」(「詩と眞實」846号)が短いながら一枚の絵のようだ。行間で読ませる手法で女性の思いを描く。抒情が底流にあり力のある書き手だ。
 望月なな「銀色の輪っか」(「mon」15号)は短編で美容学校に通う女性の視点。最後の数行の比喩でこの作品を言い表している。達者な書き手だが比喩が巧みなだけに、主人公の鬱屈する心理のさらなる深彫りも必要かもしれない。



 【お知らせ】
 本欄は私が寄稿している全作家協会の「全作家」の「文芸時評」とは別である。同誌のコンセンプトはなるべく広く、をキーワードにしている。また本欄では特筆すべき何かを内包する作品を中心に少数精鋭で取り上げる。同人雑誌をお送りいただける方には、私どもの事務所に「お問い合わせフォーム」でコンタクトをとってほしい。掲載はご希望にそえないこともあるのでご了承いただきたい。


                                                           (了)

 

テンプレートのpondt

inserted by FC2 system