文藝同人誌の最前線 〜ブンガクの未来〜

文学に未来はあるか。
いま私が考えている大きな問いだ。未来とは何年くらい先をイメージするのか。
また文学の概念とは現在の「純文学」のことを指すのか。
そのような問いを自ら発しながらも疑問や答えに窮することは多々あるが、
今回から「文芸同人誌の最前線」と謳って、同人誌のなかで目についた作品をネット上でとりあげようと思う。


■ 第2回 2018年10月

 スイスの医師で思想家のマックス・ピカートは『沈黙の世界』(みすず書房)でこのように書く。
「沈黙は言葉とおなじく算出力を有し、言葉とおなじく人間を形成する。ただ、その程度が違うだけである」
 つまり沈黙とは、単なる「言葉への断念」以上のものだ。
 私たちは日常生活のなかで、言葉にできないようなことがある。また世界が凍りつくような本当のことを言えないで押し黙る。ドラマの世界のような饒舌な会話はしない。しかし、言葉にならない「思い」が人間を支えているのである。
沈黙こそが文学の根源だ。
 同人誌の世界での合評会で、よく作品の説明が書かれていない、との評を耳にする。最低限の説明はときによって必要だが、あとは読者の想像力に任せるのが小説の王道である。映画でも同じ。北野武監督の映画の際立ったところは、説明せず会話を少なく映像で見せることである。小説は映像では表現できないので、その分情景や心理の比喩を使って表現する。
 そして沈黙、すなわち行間や改行による余白が重要なのである。
 意図的に説明しない、故意の書き落としこそが小説の肝なのだ。
 同人誌の書き手にはその沈黙や余白や故意の書き落としを理解していない書き手が多い。
 昨年芥川賞の沼田真佑『影裏』は、余白を読ませる代表だと思うので一読をお勧めする。

 水無月うらら「空のあわいに」(「ココドコ」)は会社員の若い男性が主人公で、大学時代から付き合ってきた彼女との倦怠感に迷いながら、一方で職場の無口な派遣女性の隠れた生き甲斐に惹かれていく話。水無月はストーリーが巧みでさすがだ。描写もしっかりしている。文学としての哲学性を忍ばせていくとさらによくなるだろう。
 同じく水無月うららは「星座盤」12号に「ひかり透く」を掲載。こちらは決め言葉「分かりやすい幸福は人間を怠惰にする」が効いている。 この言葉がなければ単なる若い主婦の屈託を描くだけに終わってしまう。この作者は短編でもストーリーテラーの本領を発揮している。
 弥栄菫「誰かが誰かのS」(「中部ペン」25号)は中部ペンクラブ賞受賞作。つまりは女と男の話なのだが、軽いノリで書いているようでその背後にある何かを、私たちに考えさせる作品で引き込まれる。つまり重いテーマを軽く書く「重(おも)軽(かる)小説」の典型である。こちらも哲学があるとさらによくなる。
 今回特筆すべきは素材を統一させた雑誌「老人文学」と「夜咲(わら)う花たち」の二冊である。このような雑誌が全国的に展開されることを望みたい。つまりいままでの同人誌のあり方を超えて共通のテーマやモチーフ、素材で作品を持ち寄り継続を前提とせず、一号ごとに有志が集まる手法である。編集スタッフは苦労が多いだろうが、試みる価値はある。

 本欄は私が寄稿している全作家協会の「全作家」の「文芸時評」とは別である。同誌のコンセンプトはなるべく広く、をキーワードにしている。また本欄では特筆すべき何かを内包する作品を中心に少数精鋭で取り上げる。同人雑誌をお送りいただける方には、私どもの事務所に「お問い合わせフォーム」でコンタクトをとってほしい。掲載はご希望にそえないこともあるのでご了承いただきたい。
                                                           (了)

 

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