文藝同人誌の最前線 〜ブンガクの未来〜

文学に未来はあるか。
いま私が考えている大きな問いだ。未来とは何年くらい先をイメージするのか。
また文学の概念とは現在の「純文学」のことを指すのか。
そのような問いを自ら発しながらも疑問や答えに窮することは多々あるが、
今回から「文芸同人誌の最前線」と謳って、同人誌のなかで目についた作品をネット上でとりあげようと思う。


■ 第4回 2018年12月

 もうすぐ新年を迎える。
 私たちは小説、特に純文学を読むときに、どのように読むのだろうか。
 平成が終わりをつげる。新しい時代には新しい風が吹くのだろうか。同人誌に望まれるところである。
 同人誌のよい点は地味ではあるが、じっくりと人間観察眼が肥えた作品を生む可能性があることだ。たとえば老々介護問題やかつての戦争を扱った作品、商業誌では「商品」にならなくても、深い味わいがある小説を創作できること。
 また同人誌を商業誌新人賞への腕だめし、と考える人たちには最近の芥川賞など各新人賞を読み、傾向を学ぶことが大切だ。単に素材だけではなく、個性的な比喩や形容、擬態・擬音など学ぶべきことは多くあるはず。最近の傾向を知りたい読者に先月発売された斎藤美奈子『日本の同時代小説』(岩波新書)が必見である。
 批評に挑戦しようと考えるむきには、たとえば「平成文学とは何か」との問いを発してみたい。自らのモチーフやテーマをしっかりと持つことが大切だ。
 新しい時代への胎動が聞こえるような同人誌界を期待したい。

 葉山ほずみ「贅沢な孤独を愉しむ10.のルール」(「八月の群れ」67号)。30歳になる独身女性が職場でのハラスメントを機に退職し、大叔母の住んでいた屋敷にひとりで暮らし始める話。冒頭の通勤電車に乗ることができずに9時間も駅のベンチに座っているシーンや、ミステリ調の屋敷に住むことの謎など読ませる小道具もそろっている。題名は、人を惹きつけるが、もうひと工夫必要かもしれない。
 遠藤昭己(「海」98号、いなべ市)「たらり、たらりら」は、神主の孫が祖父の後継ぎになるかどうかを迷う話。町の神社というモチーフは寺と同様おもしろい。廃れていく宗教やコミュニティを背景としながら、人間を観察する視点がよい。カルトは栄えるのに伝統的な宗教はなぜ信を失うのか、考えさせられた。
 切塗よしを「遠い橋」(「あるかいど」65号)、現代的な素材である職場でのセクハラを描いた。公務員の男性は。かつて付き合っていた同じ職場の部下の女性から告発を受ける。そして故郷の情景、父のことを思い出す。小説として完結してそつのない作品で感心した。形容、比喩、擬態・擬声などがあるともっとよくなる。

 本欄は私が寄稿している全作家協会の「全作家」の「文芸時評」とは別である。同誌のコンセンプトはなるべく広く、をキーワードにしている。また本欄では特筆すべき何かを内包する作品を中心に少数精鋭で取り上げる。同人雑誌をお送りいただける方には、私どもの事務所に「お問い合わせフォーム」でコンタクトをとってほしい。掲載はご希望にそえないこともあるのでご了承いただきたい。
                                                           (了)

 

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