文藝同人誌の最前線 〜ブンガクの未来〜

文学に未来はあるか。
いま私が考えている大きな問いだ。未来とは何年くらい先をイメージするのか。
また文学の概念とは現在の「純文学」のことを指すのか。
そのような問いを自ら発しながらも疑問や答えに窮することは多々あるが、
今回から「文芸同人誌の最前線」と謳って、同人誌のなかで目についた作品をネット上でとりあげようと思う。


■ 第9回 2019年5月

 小説の冒頭の一行と、その後の数行は作品の命である。
 作品の良し悪しは冒頭で決まる。
 私の好きな冒頭の一行を紹介しよう。
 「さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る」。綿矢りさの芥川賞受賞作品『蹴りたい背中』の冒頭だ。
 「減るもんじゃねーだろと言われたのでとりあえずやってみたらちゃんと減った。私の自尊心」。これは女子高生のガールズトーク形式で始まる舞城王太郎『阿修羅ガール』の書き出しだ。
 川端康成『雪国』の出だし「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」はあまりにも有名だ。
 つまり冒頭は無駄な説明はしないこと。特に短編の場合は物語のなかへなめらかに読者を誘導することが必要なのだ。題名同様、冒頭の数行は作品の生命線である。情景や心理の描写で決めるのが定番である。

 大津弓枝「夏に落ちる」(「白川ノベルス」6号)は名古屋にある専門学校の卒業生と在校生たちで作る誌に掲載された作品で三十代男性の回顧譚。過去田舎に行った少年が、年上の女子高生に出会った夏の物語で叙情的な作品。ビー玉を少年に口移しする女子高生の描写があざやかで、題名もよい。
 井上岳人「雨の日の訪問者」(「全作家」113号)はソープランドのマネージャーの男が主人公。ある雨の日にボランティアの女性に介護されながら、車椅子の障害者男性が入店する。モチーフが小説らしさを醸しだす。またテーマも人間の業と自分の存在意義を問うて基軸が鮮明だ。あとは小説技法で説明文の過多が気になる。謎めいたボランティア女性のキャラクターもしっかりとして秀逸である。
 「せる」110号、津木林洋「フェイジョアーダ」は一人称の語り口調が絶妙で、長い作品を飽きさせない。題名はブラジルの代表的な料理で、豆を基本にしたシチューやカレーのようなもの。六十過ぎの男性が自分の転変の多かった人生を振り返る話。ブラジルからダンサーとして来日した女性に惹かれた過去が物語性をはらみ出色である。

 【お知らせ】
 本欄は私が寄稿している全作家協会の「全作家」の「文芸時評」とは別である。同誌のコンセンプトはなるべく広く、をキーワードにしている。また本欄では特筆すべき何かを内包する作品を中心に少数精鋭で取り上げる。同人雑誌をお送りいただける方には、私どもの事務所に「お問い合わせフォーム」でコンタクトをとってほしい。掲載はご希望にそえないこともあるのでご了承いただきたい。


                                                           (了)

 

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